毒親被害者チャンネルRyoーpompom11

私の人生をつらつら書いていきます。無断転載を禁じます。

親の不手際の責任を息子が取る

17年前。大学に入ったばかりの私。強迫神経症を発症し、学校の持ち物が触れなくなった。往復5時間かかる通学に耐えられなかった事もあり、二週間で大学に通えなくなった。 そんな私を、母は放置した。

 
健康保険証を作らせてくれなかったうえ、精神科の受診も許可されなかった。 私はひたすら引きこもった。 半年が過ぎ、後期の学費を納める期日が迫ってきて、母は私に言った。「どうするの?どうするの?」 当時の私は自責の念や、自分の症状をどうして分からない混乱から、自暴自棄になっていた。

 

当時私はまだ未成年で、いろんな決めごとには、保護者にも責任の一端があったにも関わらず、母はひたすら私に決めさせようとした。自分が責任を取りたくないから。 正直私はどうしていいか分からなかったが、毒母に追い込まれたため、「大学を辞める」「国立大学を再受験する」と言ってしまった。

 

私は母と共に大学に退学届を出しに行った。 が、どう考えても当時の私の精神状態では、国立大学再受験のための勉強など、できるはずはなかった。 母はその現実を受け入れず、もっといい大学に息子を入れるという幻想に囚われていた。

 

結局辞めてからの半年間、私は勉強もままならない状態が続き、ギリギリになって出願を諦めた。 そして翌年の春が過ぎた。 大学に入ってから受け取っていた奨学金は、中退後も資格を有したまま保留して貰っていたが、母はこれに関しても、私に「どうするの?どうするの?」と詰問した。

 

心身共に疲れ果て、うつ状態でヤケクソになっていた私は「大学はもう受けない」「奨学金の資格も破棄してほしい」と言ってしまった。 母はすんなりとその手続きをした。 これで私が大卒になる道のりは途絶えた。

 

中退した直後、母から話を聞いた伯母は慌てて「中退を取り消して休学にしなさい」と説得したが、母は無視した。 今になって、自分が大卒ではない事が悔やまれてきた。辞めたのは失敗だったと思う。 休学にして翌年に復帰するか、退学の翌年に復学すれば良かったと思う。

 

この一連の判断ミスの結果は全て私に不利な形で返ってきている。大卒資格がいる職業につけないという形で。

 

何という理不尽さであろうか。