毒親被害者チャンネルRyoーpompom11

私の人生をつらつら書いていきます。無断転載を禁じます。

私の人生相談19

>それでも絵はまだ少し得意でした。中学に通い出して初めてのイベントで、校庭で好きなものを書くように言われて草花を描いた所、ALT(英語指導の外国人講師)に「この絵は上手だ」と誉められたのを覚えています。

 

しかし、中途半端に気持ち悪い絵しか描けない美術教師、自身の似顔絵すらぐちゃぐちゃに描いてしまう同級生に囲まれる中で、私は次第に絵への興味を失っていきました。

 

今から思えば、自分の興味や適性を確認する大切な機会や環境を母に奪われてから、私はずっと「自分」を見失い、宙をさまよっている気がします。

 

私は未だに、自分が誰だか分からないのです。

 

仕事を見つけ、やっと独立してから、ふと気になった美術の専門学校に体験に行った事があります。

 

体験の中で「あ、ここだ」と感じました。

私が初めて、心から「ここに行きたい」と思った学校でした。

 

しかし、もう手遅れでした。どう考えても学費の工面が出来なかったのです。実家と縁を切り、貯金もままならない安月給の仕事にありついたばかりの人間には、打つ手が有りませんでした。

そして、必死に生計を立てる間に、この歳になってしまいました。

 

仮に、現役の時にその学校に出会えていたとしても、入る事は出来なかったでしょう。

 

「ワタシの子は有名大学に入って当たり前」「専門学校なんて学校ではない」と思い込んでいた母が許可するはずがありませんから。

 

「お前はよく人に振り回される」と母は私に言いました。が、最も私を振り回してさらに圧迫したのは母でした。

 

他人の非をあげつらい、あたかも自分が正常のように見せかける。それは天性の詐欺師である母がよく使う常套手段でした。