毒親被害者チャンネルRyoーpompom11

私の人生をつらつら書いていきます。無断転載を禁じます。

本当の願望

離婚しないでほしかった

 

離婚するなら、「お父さんいなくなって寂しい思いをさせてしまうけれど、ごめんね。」と言ってほしかった。

 

バイオリンを習わせてほしかった。

 

画家になりたかった。

 

旅行に連れて行ってほしかった。

 

新幹線に乗せてほしかった。

 

観光バスに乗せてほしかった。

 

飛行機に乗せてほしかった。

 

毎日笑顔で接してほしかった。

 

毎日穏やかな心で接してほしかった。

 

学校に行かせてほしかった。

 

誕生日は大げさに祝ってほしかった。

 

喜んで学校に行かせてほしかった

 

自由に行動させてほしかった。

 

朝起きて、笑顔で家事をしてほしかった。

 

まともに洗濯をしてほしかった。

 

喜んで掃除をしてほしかった。

 

おもちゃを壊さないでほしかった

 

兄弟げんかをしたとき、笑顔でどうしたのと、粘り強く話を聞いてほしかった。

 

優しく家事の仕方を教えてほしかった。

 

他人と交流させてほしかった。

 

社会と関わらせてほしかった。

 

野球部を続けさせてほしかった。

 

辞めさせたい理由を説明して、頭を下げて、やめるよう説得してほしかった。

 

100万円を渡し、携帯電話を持たせ、家から追い出す理由を説明してから追い出してほしかった。

 

ガス料金を払ってほしかった。

 

今日は痛くなかったのね、無理やり痛いと言わせてごめんねと言ってほしかった。

 

無茶なことを強要しないでほしかった。

 

嫌がることをしないでほしかった。

 

指示に従ったら、その都度ありがとうと言ってほしかった。

 

悪い方をみんなで注意してほしかった。

 

僕の味方でいてほしかった

 

遠足に行かせてほしかった

 

笑顔で行ってらっしゃいと言ってほしかった。

 

自分がアホでわがままであることを自覚して謝ってほしかった。

 

健康保険証を作らせてほしかった

 

心配して、一緒に病院についてきてほしかった。

 

ごめんね、私の被害妄想のせいで、と謝ってほしかった。

 

今日も頑張ってるねと褒めてほしかった

 

ガス代を普通に払ってほしかった。

 

不便な生活を強いないでほしかった。

 

大学に受かったとき、おめでとうと言って下宿を探してほしかった。

 

優しく話を聞いてほしかった。

 

今まで愛情不足でごめんねと言ってほしかった。

 

悪いことした方を注意してほしかった。

 

どうして自身が無いのか一緒に考えよう、自信を持っていいんだよ、お母さんの接し方が悪かったと言ってほしかった。

 

おめでとう、よく頑張ったねと言ってほしかった。

 

気を付けて行っておいで、と笑顔で送り出したほしかった。

 

喜んで保険料を払い、保険を利用して心配して、精神科に行かせてほしかった。

 

働く姿を見せられずごめんねと言ってほしかった。

 

お前は優しくていい子やねと言ってほしかった。

 

保険料を払い、保険証を受け取らせてほしかった。

 

部費を私に行った後、笑顔でありがとう渡しに行ってくれてと言ってほしかった。

 

不要な制限を掛けないでほしかった。

 

やさしく喧嘩を止めてほしかった

 

訳の分からない作り話や妄想で、僕たちに迷惑を掛けないでほしかった。普通に公共料金を払ってほしかった。

 

謝ってほしかった。

 

家から追い出すのではなく、家に入れるか、適切な指示を下すか、お金を渡してほしかった。

 

嘘を言わないでほしかった。

 

嫌がらせをしないでほしかった。

 

謝ってほしい。

 

嫌がらせをしないでほしかった。

 

嫌がらせを辞めてほしかった。

 

下宿を探してほしかった。

 

変な弁当を作ってごめんねと謝ってほしかった。

 

交通事故に遭った時、大丈夫か、痛かったな、お母さん来たから安心しいや と言ってほしかった。

 

愛情を与えないで、酷い育て方をしてごめんねと謝ってほしかった。

 

話し合いに応じてほしかった。

 

謝ってほしい。

 

間違いを認めて謝ってほしい。

 

家を追い出す理由を説明して、お金を渡し、先のまともなプランを提示してほしかった。              

 

謝ってほしい。優しくしてほしかった。まじめに話し合いをして向き合ってほしかった

 

適切な進学席を提案してほしかった。下宿を用意してほしかった。

 

自立できるよう、段階を踏んでサポートしてほしかった。それが普通。

 

普通の優しい育て方をしてほしかった。

 

優しくしてほしかった。

 

共感してほしかった、 慰めてほしかった、いたわってほしかった。

 

工作キットを見守りつつ作らせてほしかった。

 

騙さないでほしかった。誠実に向き合って病院に行ってほしかった。病気と認め、治すための努力してほしかった。

 

謝ってほしい。

 

愛情を与えてほしかった。

 

具体的なプランを提示してほしかった。

 

ごめんね気づけなくてと謝ってほしかった。

 

誘導尋問しないでほしかった。

 

嘘をつかないでほしかった。

 

怒らないでほしかった。

 

きちんと起きて家事をしてほしかった。道連れにしないでほしかった。

 

あの男よりひどい

「あの男(別れた元夫)よりひどい」

 

お母さん、あなたは私にこう言いましたね。大学を辞めて引きこもり、就職を拒否していた私に向かって。

 

お義父さんは、酒飲みで、ギャンブル狂いで、パチンコ代のために生活費まで手を付ける男でした。

 

それと私を比べて、引きこもっているだけの私に対して、私の方が「酷い」と、あなたは言った。

 

そのうえ、「もしお前(私)がお母さんの夫だったら、即離婚やわ!」とまで言い切った。

 

一体私が何をしたというのでしょうか?

 

息子が自分の思い通りにならない。むかつく。そうだ、腹いせのためにギャンブル中毒だった父親よりひどいと言って、傷つけてやろう。

 

あなたの発想はそうだったのでしょう。

 

ハッキリ言って最低です。

 

引きこもりになって苦しんでいる息子。社会復帰が恐ろしくて前に踏み出せず、苦しんでいる息子。その息子を目の前にして、苦しみに寄り添おうともせず、病院に連れて行こうともせず、「父親より酷いわ」と言い放ってうっぷん晴らしをしたお母さん。

 

本当に最低です。あなたに子供を育てる資格はありません。

 

学校を辞める

母さん、高校辞めたい

 

母「何を馬鹿言ってんの?大学行けなくなるで?」

 

今の高校通ってても、授業の進め方が間違ってるから、有名な大学には入れない。世間体がいいだけで、中身が整ってない。

 

母「何を馬鹿言ってんの?辞めてどこに入るの?」

 

C高とか

 

母「何を馬鹿言ってんの?もっと大学入れなくなるがな。そんなレベル低いとこ。」

 

今のままA高に通っていても、学力は身につかない。母さんの幻想や。

 

母「何を馬鹿言ってんの?A高が一番マシや」

 

その根拠は?

 

母「アアーもう知らん!聞かん!」

 

通信制に転学したい

 

母「何を馬鹿言ってんの?もっと大学行けなくなるがな。もう聞かん!」

 

 

間違った教育

間違った教育

 

教えないから自分で勉強してこいと言うのは、間違いではないですか?

何のために教師がいるのですか?

ただのイケズじゃないですか。

税金泥棒ですよ。

 

普通の授業なら、先に先生が説明して、理解させてから例題を解いて、理解させてから応用問題を解かせるでしょう?それが普通ですよ。

 

それを、まだ教えてもいない単元を、予習という名目で自分で問題を解いて来い、次の授業で当てるからな?というのは、ハラスメントじゃないですか。

 

先生「うちは長年そういうやり方やから」

 

だから、その長年やってるのがおかしいと言ってるんですよ

 

先生「ほかの生徒は文句言わずにやってるやろ」

 

それは、各自教科書ガイド買ったり、塾で教わったりしているんでしょ。

 

先生「だったらええやないか」

 

何を言ってるんですか?先生が仕事を怠けている尻拭い生徒がをしてるんですよ?それをそのままでいいと言うんですか?先生が間違ったやり方をしているしわ寄せが生徒に来ているんですよ。先生が仕事をしていないことに変わりはないじゃないですか。

 

このままでいいと言うなら、教師いらないじゃないですか。生徒を当てて、答え合わせするだけ。税金泥棒ですよ。

 

先生「お前もやろ」

 

うちは母に言ってください。僕は関係ない。しかも生活保護はやむを得ず受けてるだけですし、正当な権利です。

 

先生「自分で予習した方が学力が身につく」

 

反対です。きちんと教わった方が学力が身につきます。

 

 

後悔しかない

後悔

 

あの学校に通っていなければ

眼鏡を買っていれば

教科書ガイドを買っていれば

塾に行っていれば、、、

 

高校の時の後悔が絶えない。

あの頃目が悪くて、前の席に座らないと、黒板が見えなかった。

が、医者嫌いの母に病院に対する恐怖を植え付けられ、お金を使うことに罪悪感を植え付けられていたので、眼科に行って眼鏡を作ってもらうことが、とんでもなく恐怖で、悪いことのような気がしていた。

 

視力が0.1ぐらいに下がっていたのに、無理して黒板を凝視していた。あのせいで、英語や数学の理解度がだいぶ下がった気がする。

 

教科書ガイド、、高校から自転車で5分ぐらいの百貨店に入っていた本屋で、売っていた。当時の高校の授業方針が、まだ教えてもいない分野を自分で問題解いて来いという狂った方針だったので、ガイドは必須だった。

 

が、当時の僕は母にお金を使うことに罪悪感を与えられていたし、ガイドを買う=ズルをしている という意地っ張りなところもあったので、一冊も買わなかった。

 

買えばよかった。あれが無かったせいで、英語と数学の点数を落とした気がする。

 

塾、、これも母にお金を使うことに罪悪感を与えられていたので、母に提案されてもいかなかった。高校の授業についていくだけで精一杯で、体力精神力的に無理だったというのもある。

行けばよかった。東進の映像授業でも受けていれば、いかに高校の先生の教え方がへたくそかが、よく分かったはずだ。

 

今から考えると、大変重要な失敗を、沢山している。これらの失敗のせいで、高校時代の私は精神的に大きく摩耗してしまった。

 

今から後悔しても仕方のないことではあるが、結果的に「学歴」という非常に大きなものを失ってしまったので、後悔の念が押し寄せてくる。

 

親の不手際の責任を息子が取る

17年前。大学に入ったばかりの私。強迫神経症を発症し、学校の持ち物が触れなくなった。往復5時間かかる通学に耐えられなかった事もあり、二週間で大学に通えなくなった。 そんな私を、母は放置した。

 
健康保険証を作らせてくれなかったうえ、精神科の受診も許可されなかった。 私はひたすら引きこもった。 半年が過ぎ、後期の学費を納める期日が迫ってきて、母は私に言った。「どうするの?どうするの?」 当時の私は自責の念や、自分の症状をどうして分からない混乱から、自暴自棄になっていた。

 

当時私はまだ未成年で、いろんな決めごとには、保護者にも責任の一端があったにも関わらず、母はひたすら私に決めさせようとした。自分が責任を取りたくないから。 正直私はどうしていいか分からなかったが、毒母に追い込まれたため、「大学を辞める」「国立大学を再受験する」と言ってしまった。

 

私は母と共に大学に退学届を出しに行った。 が、どう考えても当時の私の精神状態では、国立大学再受験のための勉強など、できるはずはなかった。 母はその現実を受け入れず、もっといい大学に息子を入れるという幻想に囚われていた。

 

結局辞めてからの半年間、私は勉強もままならない状態が続き、ギリギリになって出願を諦めた。 そして翌年の春が過ぎた。 大学に入ってから受け取っていた奨学金は、中退後も資格を有したまま保留して貰っていたが、母はこれに関しても、私に「どうするの?どうするの?」と詰問した。

 

心身共に疲れ果て、うつ状態でヤケクソになっていた私は「大学はもう受けない」「奨学金の資格も破棄してほしい」と言ってしまった。 母はすんなりとその手続きをした。 これで私が大卒になる道のりは途絶えた。

 

中退した直後、母から話を聞いた伯母は慌てて「中退を取り消して休学にしなさい」と説得したが、母は無視した。 今になって、自分が大卒ではない事が悔やまれてきた。辞めたのは失敗だったと思う。 休学にして翌年に復帰するか、退学の翌年に復学すれば良かったと思う。

 

この一連の判断ミスの結果は全て私に不利な形で返ってきている。大卒資格がいる職業につけないという形で。

 

何という理不尽さであろうか。

 

 

何故大学を辞めたのか。

何故大学を辞めたのか。

 

あの時大学を辞めずに、休学にしていれば。

 

いやしかし、当時自分を含めて、正常な判断を下せる人間が、いなかった。私はやけくぞだったし、母は頭が狂っていた。弟は私に無関心だった。

 

伯母が、退学を取り消ししなさい休学にしなさいと、アドバイスしたが、母は取り合わなかった。

もっといい大学に行かせることができると、盲信していたからだ。

 

なぜ母は私に進退の判断をさせたのか。当時神経症の症状を現し、苦しんでいた私に。それは、母が責任を取りたくなかったからだ。私にすべての責任を押し付けさえすれば、結果が間違いだろうと何だろうとどうでもよかったのだろう。

 

退学して2年以内であれば、復学することもできたが、母はそれも私に提案しなかった。母自身が、私をどう育てたいのか、明確なビジョンを持っていなかった。いや、持ってはいたが、都合のいい空想に基づいた現実離れしたビジョンだけだった。その空想と、現実にギャップが生まれた時、母は判断を放棄した。現実を受け入れず、すべての責任を私に押し付けて捨てる決心をした。

 

だから、退学の判断も、奨学金の予約取り消しも、すべて「どうするの?どうするの?」と私に決めさせた。私がいくら自己破壊的な、やけくそな判断をしても、母は止めなかった。私の将来よりも、「子供の意思を尊重する優しい母親」のポジションを取りに行ったのだ。

 

子供の将来<自己満足  

 

これが母の正体だった。こんな母のもとで生まれ育てば、人生失敗するのも仕方ない。むしろ、よく大学入学まで持ったもんだと、褒められてもいいレベルかもしれない。

 

いくらここで自分を慰めても、母を批判しても、大学の新卒カードを失い路頭に迷うという結果の責任は、すべて私に返ってきている。母の無責任な、親としての責務を放棄したが故の判断ミスの責任が、なぜか当時未成年だった私に返ってきたのだ。

 

なんと理不尽なことだろうか。