毒親被害者チャンネルRyoーpompom11

私の人生をつらつら書いていきます。無断転載を禁じます。

何故大学を辞めたのか。

何故大学を辞めたのか。

 

あの時大学を辞めずに、休学にしていれば。

 

いやしかし、当時自分を含めて、正常な判断を下せる人間が、いなかった。私はやけくぞだったし、母は頭が狂っていた。弟は私に無関心だった。

 

伯母が、退学を取り消ししなさい休学にしなさいと、アドバイスしたが、母は取り合わなかった。

もっといい大学に行かせることができると、盲信していたからだ。

 

なぜ母は私に進退の判断をさせたのか。当時神経症の症状を現し、苦しんでいた私に。それは、母が責任を取りたくなかったからだ。私にすべての責任を押し付けさえすれば、結果が間違いだろうと何だろうとどうでもよかったのだろう。

 

退学して2年以内であれば、復学することもできたが、母はそれも私に提案しなかった。母自身が、私をどう育てたいのか、明確なビジョンを持っていなかった。いや、持ってはいたが、都合のいい空想に基づいた現実離れしたビジョンだけだった。その空想と、現実にギャップが生まれた時、母は判断を放棄した。現実を受け入れず、すべての責任を私に押し付けて捨てる決心をした。

 

だから、退学の判断も、奨学金の予約取り消しも、すべて「どうするの?どうするの?」と私に決めさせた。私がいくら自己破壊的な、やけくそな判断をしても、母は止めなかった。私の将来よりも、「子供の意思を尊重する優しい母親」のポジションを取りに行ったのだ。

 

子供の将来<自己満足  

 

これが母の正体だった。こんな母のもとで生まれ育てば、人生失敗するのも仕方ない。むしろ、よく大学入学まで持ったもんだと、褒められてもいいレベルかもしれない。

 

いくらここで自分を慰めても、母を批判しても、大学の新卒カードを失い路頭に迷うという結果の責任は、すべて私に返ってきている。母の無責任な、親としての責務を放棄したが故の判断ミスの責任が、なぜか当時未成年だった私に返ってきたのだ。

 

なんと理不尽なことだろうか。